53 :大人になった名無しさん :2007/01/02(火) 15:06:37
話せば長くなるのですが、小3と小4の時にクラスにちょっと顔立ちが華やかな子がいました。
Mという名前です。
母親は美容院を営み、父親は地場企業に勤めていて、妹と祖母を加えた4人暮らしでした。僕の家からは歩いて10分以内のところに住んでいました。
彼女は目だって勉強ができる方ではありませんでしたが、正義感が強く、隣のクラスで虐めがあったのですが、虐められている男子をかばって、虐めている男子3人にビンタするような女性でした。
彼女とは中学校で再び同じクラスになりました。
今にして思えば、その頃にはほかの女子に比べると色気があって、セクシーな雰囲気を既に漂わせていました。
僕とは小4の頃から仲がよかったので、同じ班になり、彼女が僕の前に座っていたのですが、衣替えがあった その日に彼女の背中から透けて見えるブラのラインにはドキドキしたものです。ですが、彼女はスリムで胸が大きいようには見えませんでした。
水泳の授業でも彼女の胸は全然目立たないので、僕は気安く「M、おまえのブラジャーは何のためにあるんだ?」とからかい、彼女は彼女で「うるせぇ!」と怒鳴り返し、僕にビンタしたりしていました。
中2になる時にクラス替えがあり、彼女とは別のクラスになりましたが、通学経路が一緒なので、カップルでもないのに僕とMはよく一緒に通学していました。
たまたま僕が遅刻しそうな時間に家を出たら、途中でMが待っていて「おい、遅れるぞ、走れ!」と大声で叫び、ご近所の笑いを誘ったりしていました。
僕とMは男女というよりは男同士のようなつきあいで、僕も平気で彼女の尻を叩いたり、彼女は彼女で僕の股間に蹴りを入れてくるような間柄でした。
僕の父は早くから彼女を「Mちゃんは美人だ」と言っており、僕もそれは認めていましたが、彼女には照れくさくてそんなことは言えません。
そんなことを言うと今の付き合いが一変しそうなことも感じていたように思います。
問題は彼女の家庭、特に母親と祖母にありました。熱心なS価学会信者でした。
彼女に「勉強を教えろ」と強引に彼女の部屋に連れ込まれたときもお題目を唱える声が響いていて、彼女も「勘弁して欲しいわ」と言っていたのですが、
僕の両親は大のS価学会嫌いで、彼女の母親から以前に「S教新聞」の購読を頼まれた時に喧嘩になっており、
子供同士は仲がよいのに親同士はうまくいっていないという付き合い方でした。
当時の彼女の成績は中の中から上の間くらいで、僕はトップクラスでしたから、志望校も異なり、中学校を卒業したら接点が少なくなりそうでした。
彼女が進もうとしている高校は朝8時まで寝ていても遅刻しない場所にあったのですが、僕の志望校は6時台に家を出ないといけない場所にあり、通学で顔を合わせることもなくなるからです。
それでも当時の僕は彼女との「別れ」を惜しいとは全く思いませんでした。彼女は英語が比較的苦手で、僕は得意ということもあって、僕は時々請われるままに彼女の部屋で英語を教えたりしたけれど、彼女のベッドが目の前にあってもヘンな気持ちにはなりませんでした。
54 :53:2007/01/02(火) 雰15:20:55
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55 :53:2007/01/02(火) 15:38:03
登校初日、彼女とはバス、JRと一緒でした。JRでは同じ中学校から僕と同じ高校に進んだ数人と彼女と同じ付属高校に進んだ数人、さらに男子私立高校に進んだ数人が一緒でした。
こうして段々、お互いにほかの中学校から進学してきた友人が混じり始め、彼女は堂々と僕に蹴りを入れるし、僕は彼女の背中に手形でつくくらいの強さで張り手をしたりしていました。
彼女は「H、ブラジャーに触っただろ!」と大声で怒鳴り、僕は「オマエ、なぜ必要ないものをつけてんだよ!」と言い返して、周囲の爆笑を誘ったこともありました。
誰も僕と彼女をカップルだとは思っていないようで、僕も彼女を指差して「コイツは男だから、中身も体型も」などとオモチャにしていました。
ですが、夏休み前から僕と彼女との間には微妙な空気が流れ始めていました。
いつものように掛け合い漫才のようになって、僕が彼女にヘッドロックをかけたときに「オマエ、抱き方が乱暴だぞ!」という彼女と目が合った瞬間に「あっ僕はこの子が好きなんだ」とわかってしまったのです。
後で聞いたところでは彼女も同じだったそうです。
当時、僕は天下様のような立場だった中学校時代に比べて、高校では厳しい学力競争に晒され、ストレスで疲れていたのです。
それを癒してくれるのが彼女とのふれあいでした。
「おまえ、俺に抱かれたいのか?」とその場はジョークで返した僕でしたが、彼女を抱き締めたいという思いが一気に高まりました。
夏休み、僕は学年で真ん中くらいの順位にしかなれなかったために必死で勉強していたのですが、ふと手を休めると彼女のことを考えるのでした。
彼女とは夕方の時間、たまに公園で会うことができましたが、なぜか以前のように男同士のように話すことが出来なくなっていました。
僕が彼女を意識していたからなのですが、上気したように彼女もまた僕を意識していたのです。
お互いにそれで何となくギクシャクしていました。
8月も終わりに近づき、僕は陽に焼けることもないままに夏休みを終えようとしていました。
お陰で二学期は上位に入れる自信ができていましたが、何か物足りないままでした。
そんな時にふらりとバスに乗り、海水浴場に出かけました。もう海水浴を楽しむ人もほとんどいなくなっていて、夏の終わりという雰囲気でした。
そこには中学校時代の友人で父親がテキヤをやっている友人が住んでいて、僕とは全く正反対の世界にいるタイプでしたが、なぜか彼の顔を見たくなったのでした。
彼は海の家のバイトをしていて、暇そうでした。
「なんだ真っ白じゃねぇか!」と僕を見るなり、人懐こそうな笑顔を浮かべました。
僕は何も言いませんでしたが、「好きな女ができたんだろう?ドンといけよ!思い切りのよさと破天荒さはオマエの持ち味じゃないか!」と彼は言うのでした。
ものの15分も一緒にいたでしょうか、僕は彼に「ありがとう」と言って帰路に着いたのでした。
56 :53:2007/01/02(火) 16:24:13
その翌日でした。彼女を訪ねました。
が、彼女はいませんでした。
妹が「ねえ、Hクンと姉貴って喧嘩してるの?」と訊いてきました。
僕は「いや」と答えたのですが、歯切れが悪く聞こえたのか、「さっさと謝った方がいいよ!」と姉のように僕の背中に思い切り張り手をするのでした。
その夜に彼女から電話がかかってきました。
考えてみれば電話がかかったのは初めてです。
「妹からオマエが謝りに来たって訊いたけど、何?」
「いや謝りに行ったんじゃないんだけどね」
「謝られる覚えはないしね」
というような会話があって、
「とりあえず明日会おうか」
という話になりました。
これが午後9時頃。僕は10時頃になって、なんとなく公園に散歩に出たのです。そうすると彼女が間もなく現れて、お互いに驚きました。
僕は彼女が来ることを期待したという意識はなかったし、彼女もそうだったようですが、なぜかその時は二人とも公園に足が向いたのでした。
「明日の用って何?」という彼女に僕は答えられません。
「今日の内に済ませれば、オマエの鬱陶しい顔を見なくて済むからな」という憎まれ口をきく彼女に僕も「じゃあ手短に済ませるよ」というなり抱き締めてキスを奪ったのです。
これがテキヤの息子の言う「思い切りの良さ」です。
彼女はあまりに突然だったのか唖然とした表情でした。しかも震えていました。
次にきたのは強烈な蹴りでした。
「初めてのキスがこんなのになって、このヤロー、責任とれ!」
という叫び声に近所を気にしましたが、もうどうにもなりません。
彼女は叫ぶやいなや僕に抱きついて自分からキスしてきました。
こうして僕と彼女は何度もキスを交わし、何も言わずとも気持ちを確かめ合ったのでした。
二学期になり、僕は学力テストでも上位に入り、T大、K大合格圏だと言われるレベルに達しました。
彼女とは特に進展はなく、その後はキスすることもなく、相変わらず通学仲間でした。
彼女に私立男子校の生徒が交際を申し込んだという話が出て、彼女と僕の共通の友人であるW(女子)が「H、いいの、彼女とられるよ」と言う有様でした。
ちなみにWは夏休みに僕とMとの間にあったことを全く知りません。
僕は「そのうちMが男だとわかって、別れて下さいなんて言うんじゃないか?」と言っていましたが、実はちょっと焦ったのです。
10月の中間テストが終わるまで、僕は彼女とデートすらしませんでした。
それで僕は人並みのデートをしようと思い、彼女を映画に誘い、二人で映画を見て食事をするというオーソドックスなデートをしたのですが、あのとき以来キスもしていないことが気になって、帰り道に例の公園に誘い、漸く夏休み以来のキスを味わいました。
そして初めて「好きだ」という言葉を口にしたのです。
彼女は「私は待っているのに、アンタ鈍感だよ」といつもの蹴りを返したのですが、僕は満足でした。気持ちを言葉で伝えることができたことに。
その翌日からは二人で登校する際の雰囲気が変わったのでしょうか、周囲は僕と彼女をそういう間柄として自然に扱い始めたのでした。
相変わらずお互いに殴る蹴るに近いようなことをしてはいましたが、電車を降りるとみんな「じゃあな」とさっさと去っていくのです。僕は感心しました。
クリスマスイブ、僕と彼女はごく自然に結ばれましたが、場所は僕の家でも彼女の家でもありませんでした。誰も来ない海の家でした。テキヤの息子が協力してくれたのです。
ただ二人で1時間くらい誰にも邪魔されずに過ごすつもりだったのに、彼は僕の相談を受けてから、電気ストーブに飲み物や軽食まで用意して、しかも布団まで持ち込んでいたのでした。
合鍵をもらうときにも何も言わずにニッと笑うだけでした。
それから僕と彼女は彼女の部屋で関係を続けました。
喧嘩らしい喧嘩をすることもなく、お互いの卒業まで続きました。
彼女の胸は全然大きくならなかったけれど、僕はとても幸せでした。
卒業後、彼女は付属高校だったために そのまま地元の女子大に進み、僕はK大学に進みました(T大、K大と書いたK大ではないK大)。
極端に遠くに離れたわけではないけれど、段々疎遠になってしまい、夏休みに逢っても、もう関係を持つことはありませんでした。
以前と同じ男同士のような付き合いに戻ってしまいましたが、僕はそれでよかったように感じました。
彼女も彼氏ができたとか、旅行に誘われているけど、どうしよう?などと話していました。
57 :53:2007/01/02(火) 16:25:02
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