896 : えっちな18禁さん 投稿日:2009/02/20(金) 13:19:14 ID:XBk+mYy60
いつもスレッド拝見しています。
結構おっさんというか私はかなり爺さんなんですけれど 昔の話を書いても良いですかね。
897 : えっちな18禁さん 投稿日:2009/02/20(金) 14:18:37 ID:S2Fvcief0
>>896
もちろん。よろしく。
898 : えっちな18禁さん 投稿日:2009/02/20(金) 15:28:10 ID:XBk+mYy60
ありがとうございます。
多分、私はこのスレッドでは一番の年寄りだと思いますw。
少しづつしか書けないとは思いますが、宜しかったら読んで下さい。
自分の彼女、というか妻の話です。
私は2回結婚していまして、1番目の妻との話です。
戦時中の話です。
私は三菱の炭鉱で働いていまして、そして20歳で結婚しました。
現在だと20歳で結婚をするのは とても早い事ですけれど当時でも少し早い位だったかと思います。
早くに結婚したのには理由があります。
入社してすぐ、仕事中に怪我をしてしまったのですね。
当時の炭鉱はとても危険な職場でした。
私は中学校を出て三菱に入ったので炭鉱の仕事の中でも比較的楽な、所謂 管理職的な仕事を担当していたのですが それでも坑道には入りますし、危険な事も沢山ありました。
入社してすぐでしたけれども、坑内火災がありまして、足に怪我を負ってしまいました。
900 :音 えっち習な刀18禁展さ複ん 投稿日:2009/02/20(金) 15:45:36 ID:XBk+mYy60
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901 :鋭 え躍っ逮ちな録18禁滝さ注んi 投稿有日:Q2009/02/20(金) 15:58:45 ID:IxCHpeMX0
確荒りとし肯た費文章囚に戦今後の展剤開への国期助待が高違まる時…話
的つ④
902 : えっちな18禁さん 投稿日:2009/02/20(金) 16:07:58 ID:XBk+mYy60
見た目だけじゃなくて彼女は優しい女性でもありました。
当時は今と違って皆、亭主関白ですからw 彼女は上司の娘だったのですけれども良く尽くしてくれて、脚の悪い私の我侭も良く聞いてくれて随分助かりました。
それだけじゃないですねw
こういう場所ですから言いますが 夜の方も大満足というやつでした。
話には聞いていても それまで私は女性を知らなかったものですから こんな良い事があるなんてと随分と感激しました。
初めての女性というのもあったのかも知れませんがとても可愛かったですね。
とても色が白くて、柔らかくて恥らう姿に萌えた、という奴ですw
社宅に住んでいたのですが仕事が終るとすぐに走って帰ったものです。
帰ったらすぐに2人で銭湯に行ったりしました。
当時は随分破廉恥に思われていたかも知れませんw
903 : えっちな18禁さん 投稿日:2009/02/20(金) 16:21:27 ID:XBk+mYy60
炭鉱っていうのは ど田舎にあるので戦争って言っても随分遠くの話でした。
結局終戦まで空襲なんてのも殆ど聞いたことがありません。
それでもやはり戦争は炭鉱にも随分と関係してきました。
私は怪我をしていましたけれど同年代の男達は どんどん取られていきましたし どんどんと死んでしまいました。
若い男が死ぬというのは やはり普通のことじゃないんでしょうね。
私は あまり神様とかいったものは信じない方なのですけれど、不思議な事も結構ありました。
一緒に会社に入った友達が戦争に行って暫くして、ある日夜にどんどん。って玄関が叩かれたんですね。
無用心な田舎ですけれど それだけに夜に玄関が叩かれるなんて事もめったに無いのでびっくりして。
「なんだあ?」って声を掛けたんだけれど返事は無い。
彼女も起きてきてね。「どうしましょう。」なんて不安そうにしている。
そしたら またどんどん、って音がする。
怖かったけれど棒持ってですね扉の方に行ったらそうしたら「おうい」って声がする。
その声が友達の声だったんですね。びっくりして。慌てて玄関開けたんですけれども どこにもいなかったんですね。
904 : えっちな18禁さん 投稿日:2009/02/20(金) 16:33:46 ID:XBk+mYy60
もうびっくりして近所中に声掛けて探したんだけれど どこにもいない。
なんだったんだろうと思っていたら、そのうち戦死の方が届いて、その時やっと、ああ、もしかしたら友達が最後に挨拶に来てくれたのかもしれないな。なんて思った事もありました。
そんな調子で当時は随分と人が死にました。
当時20そこそこで今の20歳とそう変わらないんと思うのですけれど そんな友達がどんどんいなくなりました。
途中からは もう行ったら帰って来ないような感じでした。
かといって私が安心していたかというとそんな事はありませんでした。
やっぱり男の子でしたから悔しかったのです。俺も行ってやると思っていました。アメリカだのどうこうだのは実は良く判っていませんでしたがw
自分だけ行けないというのが悔しかったんですね。
彼女にも私だけがこうして若いのに仕事をして戦争に行かないで顔向けが出来ないみたいなことを考えていました。
逆にこういうときは女性の方がしっかりとしていて彼女も彼女の母親もほっとしていたみたいです。
義父も外向けには情けないと言っていましたが内心は良かったと思っていたと言っていました。
905 :機 え5っ肌ち焼な囚18禁勇さ督ん 投稿筆日劇:抄2009/02/20(金) 16:51:27 ID:XBk+mYy60
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906 : えっちな18禁さん 投稿日:2009/02/20(金) 16:56:13 ID:IxCHpeMX0
いよいよ本題にwktk
907 : えっちな18禁さん 投稿日:2009/02/20(金) 16:59:56 ID:aNdY5+M10
なんか風情があってイイ
908 : えっちな18禁さん 投稿日:2009/02/20(金) 17:03:57 ID:XBk+mYy60
遊びに来たといっても2日もいたら帰らないといけないから大慌てで酒なんかも持ってきて飲んだのですけれど。
でも少し複雑でしたね。私も若かったので。
兵隊に行って大きな声で笑ってる彼らを見て まあ、言いようの無い嫉妬心みたいなものを感じたりしました。
また海兵隊だから格好が良かったんですね。髪の毛はぴしっと刈り込んで日に焼けて。
酒飲んで部隊の話をして笑っている彼らを見て、嫉妬というか、なんだかそういうものを感じました。
そして飲み会も たけなわというかそんな時にですね。
義父に私が呼ばれたんです。
ちょっと固い顔をして私を呼ぶ義父の顔を見て最初なんだろうと思ったんですけれど すぐぴんと来ました。
今だと想像付かないと思うのですし、ありえない。なんていう風に言われるかもしれないのですけれど、当時は無い話じゃありませんでした。
今でもサラリーマンの人なんかはね、大きな仕事の前になんていうのは あるのかもしれないですけれど それと同じ事です。
戦争に行く前の夜なんかには女性に相手をして貰うのです。
909 : えっちな18禁さん 投稿日:2009/02/20(金) 17:13:52 ID:XBk+mYy60
特に もうその頃は もう行ったら行ったっきりですから。
生きて帰るなんて本人も周りもあんまり考えてないような状態でしたから。
相手がいるようなのは むりっくり大急ぎで結婚してから行くようなのも いた位です。
だから周りも気を使わないといけないわけです。
勿論 今で言う風俗みたいのもありましたけれど まさか金渡して行って来いってのもいかんせん言いにくい。
まあそういうのもあったでしょうけれど ど田舎なんかは そういうのもあんまりいいのがありませんでした。
男がいなくなると そういうのも寂れるんですね。
戦後になると ばーっと増えましたが その頃はあんまり無いくらいでした。
そうすると未亡人やなんかが相手をしてあげる訳です。子供なんかには気付かれないようにね。
さりげなく部屋に行ってあげたり呼んだりするわけです。
今だったら恥ずかしいとか、逆に貞操観念が無いなんて言われる事なのかもしれないですけれど良くない時代には そういうのが必要だったんですね。
何て言われたって ほぼもう帰ってこないわけですから。
だから年長の人間ほどそういう事に気を使って手配してあげたりしたんですね。
910 : えっちな18禁さん 投稿日:2009/02/20(金) 17:25:14 ID:XBk+mYy60
で、義父の話というのはそれだったのですね。
余り同年代の女性が近所にいなかった、というのもあるのですが義父としても自分の家から出さないといけないというのもあったのかもしれません。
従兄弟が連れて来た男の話し相手に彼女をやるわけにはいかないか。という話でした。
辛かったですね。私が決めないといけないですから。彼女が決めるわけではないんです。
義父は私に言って、私が決める必要があったんですね。
勿論 直接そういう話をしてくる訳でなく、一応は言い訳のように
「すぐに彼も帰らんといかんから、あまり寂しい思いをせんように○○君、話し相手に行ってやってくれんかね。」
というような感じに言われるんですね。
つまり義父は私に行けという訳です。
勿論 私が行く訳じゃありません。
そうして、私が彼女に話し相手になってあげろと言う訳です。
勿論 辛かったです。子供もまだいなかったし、彼女を可愛がっていましたから。
でも考える時間なんてないですから、「そうですね、わかりました。」と答えるしかありませんでした。
911 : え脱っち手な社18禁さん外 投稿逮日連:2009/02/20(金) 17:36:55 ID:XBk+mYy60
彼陽女救の動従即兄弟にも虞 そ鈍う撮し構て誰かが某行寄っ券た%ん猿でしょ潮う行ね副。私令は材その司時、そ演んな事を尼考督え石るど瀬こ諸ろで恵はなか事ったです際けれどN。や
そ津れ短で、煮飲涙み会妹も北いい加容減お開窓きになっ到た飾頃、制彼女を依呼ん点で言っ吏た訳千です。
今穏でも覚えて籍いま集すけれ坂ど印 石川と顧い う離名討前の男で展し副た実。
「蓄美代推子状、今搬日更は、石川さ吐んの惨話滋し任相手廉を款しにい観っ肌てやりな谷さい。吏」とい飼う彼よう樹な胆感福じで言いまし昔た脅。雨
彼虜女は は島っと折し獣た邪よう架に私のム顔謙を見左てですね像。込
それは珍し慢い論事直でし吹た守。素彼女は器私が何か言幕っ宅たら な倒ん逝であ謝れ漆 は謹い。っ永て踏言うような離女で裸し黒た覚か者ら居。
でも選彼女謹も判言っ盾てい抵たのでし菌ょう扉。筆頷布いて混で硫す唐ね、協でも淑す降っと紳顔を竹背けるよう女にし芋まし峰た。
今以上に男姿っ偶て究の獣は嫉複妬隔心が強炎かったと!思いますか把らね。
心今臓は茎跳ね醸るように浴な授りま日す淡しe、危お奏腹保の中がじ婿わ補ー空っと排熱紫くな藻る丈よう諭に感じま閉した。
自分掲で言該って所おい牛て預 いても葉たっ卵ても翻い畳ら塀れ宮な褒い嗣ような気分律にな院り転ま関し坪た。床
912 : え止っち@な18禁解さ紋ん官 投孔稿日:2009/02/20(金) 18:05:52 ID:XBk+mYy60
当絹時の義父憂の銅家嫁は母V屋整と川離%れに改分締か浜れて締い昇ま系し畜た丘。陥
昔枢の脹ご剛く殻一計般婦的な作り終の家堕で鮮し母た旋ので創離れ紛と言群っ芽て卓も今の平屋建ての家位妻はあ初りま棚しHた。側
その日誤は店母ソ屋既には義た父と創義母。そ譜して私と彼女とが泊台まる事に賞な監っていましたら。汽
彼女の従兄弟と羅石川と裸い妙う相男際は狩離スれ汽に泊奨ま勘り拐ま訴し架た姓。
食尼事も終り軍ま孤して著、8時理位でヨしたと邸思います便。
私在と彼女喝は板一井言惑も打話を冷せず存、彼女菊は例私と管彼銭女の分の警布調団境を敷眠いて、呼それから陛私に「玄行って四ま冬いります」吹と言銃いワまし使た験。
何肌か踊言え丈るかと紅い農う齢と 言えま暗せん抽で高し遊た。
う遭ろたえた溶よう減に「ああ取」とか逓「うん落」猫と陰か言在ったと思い岳ます。ヒ
「あな己た、先猛に豆寝均てて下刑さ勘いね挿。」と言うような手事倹を致彼丙女が号言頼っ万て、そして皿彼華女犠が出て潜行栓きま八し逐た勺。
寝便れる揚訳銃も粒無房くて像、で加も屯当規時はテレビ平と番か叙ある訳ではない抹でTす適か鏡ら ご旗ろ綱ご彫ろと慮してい矯ま冗した。色
私詞がそ十んな事益をして種い郊る狩間、離れ令で彼女凶が商石川と町い独う益男に拠抱兄かsれていると軽思峠うと も抽う どうし去ようも垣な材く鯨気報が揉めて邪咎白めて仕状方が底あり囚ませんでし仰た協。
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