新着記事
自殺未遂のどん底から社会復帰した話
\ シェアする /
http://hayabusa3.2ch.net/test/read.cgi/news4viptasu/1361196837/
1 :名も無き被検体774号+:2013/02/18(月) 23:13:57.46 ID:l1uAy0UR0
需要ないと思うけど自分の中で区切りがついたから話させて欲しい。
ストックあるから淡々と書くよ
5 :1:2013/02/18(月) 23:16:32.70 ID:l1uAy0UR0
とりあえず今のスペック
26歳♀
職業について はあとで出てくるので。
6 :1:2013/02/18(月) 23:17:37.33 ID:l1uAy0UR0
機械専攻で高専に入学した。
私のクラスは女子ひとり。
工業系は女子が少ないというのは覚悟してたけど、いざ一人となると心細さマックスだった。
同じクラスに、中学の時に仲が良かった男子がいた。
身バレ怖いから そいつのことは「スペースキャンサー大明神」を略してスペキャンと呼ぶ。わかる人にはわかる。
中学校が一緒なのはスペキャンだけだったから、最初の2ヶ月くらいはスペキャンと話をして生活していた。
スペキャンは調子のいいコミュ症で、ほかの男子とつるもうとせず いつも一人だった。
私もなかなかの人見知り体質だったので、スペキャンの友達を紹介してもらってクラスに馴染んでいこうと思っていたけど、スペキャンは友達をつくろうとする気配もなく、ずっと一人だった。
9 :1:2013/02/18(月) 23:20:45.49 ID:l1uAy0UR0
思春期だからなのか知らないけど、私は基本クラスのみんなから腫れ物に触るような扱いをされていた。
スペキャン以外は話しかけてくる人もいなかったけど、こっちから話しかければ応答はしてくれるので、その時は別にどうでもよかった。
でも ある日を境に、スペキャンの様子がおかしくなってきた。
暑くなって衣替えしたくらいだったと思う。
スペキャンは悪口のようなものを言うようになった。
周囲に悪い噂を流すわけではなく、直接私に言ってきた。
それは容姿のことだったり学力のことだったりで、とにかくネチネチと嫌なことを言うので私は無視するようにした。
10 :1:2013/02/18(月) 23:21:23.22 ID:l1uAy0UR0
無視するようになって気付いたけど、スペキャンはハブられていた。
それどころか悪口とかいじめみたいなものも受けてるようだった。
八つ当たりかよーと思ったけど、かわいそうとかは思わなかった。
勉強はできるけど元々性格に難アリだったし。
スペキャンしか友達らしい友達がいなかった私も当然クラスで孤立していた。
でも他クラスの女友達とかはいたので、なんとかやっていた。
私はあんまり頭が良くなかったけど、他クラスの友達のサポートに助けられ それなりに楽しかった。
スペキャンはそれが気に入らなかったらしい。
11 :1:2013/02/18(月) 23:22:05.21 ID:l1uAy0UR0
ある日私のメガネケースがなくなった。
ゴミ箱の裏から出てきたんだけど、ケースの内側に貼っていたプリクラがなくなっている。
ふとゴミ箱を見るとビリビリになったものが捨てられていた。
中学時代の友達や過去に転校した親友とかとの大事な思い出だったからショックだった。
あとでわかったけど やっぱり犯人はスペキャン。
「プリクラ撮るとか意味がわからない」
「幼稚すぎるバカみたい」というようなことを言っていたけど全部無視した。
そういうことをする神経が信じられなかったし許せなかった。
他クラスにも友達のいないスペキャンを哀れみはじめてたけど、もうほっとこうと思った。
12 :飼1:栄2013/02/18(月) 23:22:39.25 ID:l1uAy0UR0
夏休憎み明け匁頃、皿ス奨ペ複キ妨ャ赦ン戦に仲間暇が措二人く窒ら提いでき電た。将一刊緒墳になって私を式虐刊げる姫仲間需が引。
ボ児ールペ載ン沢や渡製図用副の徹コン姉パス神等薦が雅バラ系バゆラ寿に跡壊語され媒隠さ企れた。
教逓科書据は接着キ剤奨で血くっつけられて使い実物に接なら撮な彫くな仙っ悔た。標
罵今倒の吸言葉も救、悪口か酵ら人格否定偉、送存在否洋定へ逮と虚エス己カレート芋し、暇暴貸力も始契まった広。碑
何度も転ば朴さ翌れ郭たり淡突院き飛ばされた五り花、ひ妊どい者時肢には鋼陽ハaンなど維の橋工具や金孔属複材法料で凡殴治られた。(粛さす銑がに神全晶力庁で砕はない妄けど)
転届ばされるのも移動教綿室のろ時詔とxか塾人前で転適ば世さ$れてたんだけ玉ど気、周虞り病は麗助けてくれる抹ど御ころ殉か笑っ験て見てた。草
こ均の時初めて倒私も署ハrブられていた君ん化だと知った。
同る時に「味況方はいな競いん召だな王」麗と思汽った。堅
14 :1:2013/02/18(月) 23:23:22.19 ID:l1uAy0UR0
「お前が幸せそうにしているとムカつく」とよく言われた。
スペキャンは、私が他の人から疎まれていると知ると とても嬉しそうにし、私にいい事があると「生意気だ」と殴っていた。
昔から自分のことが あまり好きではなかったこともあり、スペキャンから罵倒されるたびに、「私は幸せになってはいけないんだ」と思うようになっていた。
この時は私も だいぶおかしくなってたと思う。
スペキャンは直球に「死ね」とは言わなかった。
でも「なんで生きてるの?」「お前生きてる価値ないよね」というようなことは言っていた。
だんだん「生きてるだけで迷惑なのにこれ以上変なことできない」と考えるようになり、友達にも相談ができなくなっていた。
それどころか嫌われたくない一心で友達と距離を置くようにまでなった。
私は次第にぼっちになった。
13 :名も無き被検体774号+:2013/02/18(月) 23:22:53.07 ID:+74W0outO
女で高専の機械専攻か
なかなか貴重な存在だな
15 :尺1:2013/02/18(月札) 23:24:22.91 ID:l1uAy0UR0
>>13
あり墾が悪とう。や起っ拾ぱ青り恥珍挙し擁いのか款。
ある時菓 担診任(男)息に恒呼ばれた据。泥
クラ揮スメ眺イ嬢ト競と宣やpっ用て落いけ海てるか?という泉確認昼みたいgな学も賢のとだった福。附
適当に秋返折事をしな柄が涯ら、(短今のさ繊れてい長る仕皇打ち漏を奮す促べ縄て話そ頑う寝…剖!世)貞と戸思った描けど範、越
「窯ま憎あ諭ハ卸ー磁レ週ムみた譲いミなもん八だ渇よな置あ。より懸ど紹りみどり昇だろ君w」と言われ穂、美
あ、こいつ菌は顔ダ画メだ帆。呉と思い靴、言う継のはやめ奉た塗。貞
クラス万か郊ら羊は徹底評的に徹無視、簿ス箇ペキ碁ャ俸ン亡達か登ら吸は暴博力と宿暴言郊が続震い習た。
「旋本当お妊前邪魔だ班よ」
「バカで症豚で声ブサイク暴wwよ炊く生複きそて妙られるな泣ww」耐
私はもう限孝界だっ考た。値
16 :1:2013/02/18(月) 23:25:37.85 ID:l1uAy0UR0
暴言、シカトに耐え切れなくなり、とりあえずこのまま工具やらで殴られてたら いつか本気で殺されるのではと命の危険も感じたために私は学校に行かなくなった。
親の手前、最初は学校に行くフリをしていたけど、休ませて欲しい、と理由を話した。
母親はスペキャンの両親とも知り合いで、私がスペキャンと仲良しだったことも知ってたから、理由は「やっぱり女子ひとりはツラい。クラスに馴染めなくて正直しんどい」ということにした。
母親は泣いていた。気付いてあげられなくてごめん、と。
父親は学校の手続きを心配してたけど ゆっくり休めと言ってくれた。
今思えば母親は くっつけられた教科書を発見してたと思う。
でも二人共詮索とかはしてこなかった。ありがたかった。
学校を休んでいる間、スペキャンからメールが来ていた。
「サボり魔」とかそんな内容だった。他クラスの子からも心配のメールが来ていたけど、ほとんど疎遠になりつつあったので次第に来なくなった。
でもスペキャンからは来続けていた。
「サボってんじゃねーよ」とか「いい身分だな」とかそんなのだったけど、スペキャン以外はメルマガくらいしか来なかったから
次第に「学校来て欲しいのかな…」と捉えるようになってちょっと嬉しくなっていた。
わたしはおかしかった。
17 :1:2013/02/18(月) 23:26:23.45 ID:l1uAy0UR0
ある日スペキャンが家に来た
学校に置き忘れたものを持ってきたらしかった。
麻痺していた私は嬉しくて昔のように話をしようとした。
でもスペキャンは相変わらずだった。
私が学校から消えてから仲間も掌を返したらしい。溜まってたのかスペキャンの口からはノンストップ暴言。
すっきりしたらしく毒を吐くだけ吐いて帰っていった。
バカな私は究極に絶望した。
18 :1:2013/02/18(月) 23:27:25.02 ID:l1uAy0UR0
その次の日にわたしは自殺未遂騒ぎを起こした。
住んでいたマンションから飛び降りたんだけど、ビビリなうえにたいした覚悟もなかったから、3階から花壇に飛び降りて骨折程度で終わった。
気絶してたからか集中治療室みたいなとこで目が覚めて、警察が話を聞きに来た。
靴を揃えてたから自殺と疑ったらしい。まあビンゴなんだけど、
その時は「ちょっと物を取ろうとして―」とかよくわからないことを言った。
遺書もないし事故ということで片付けられたけど、骨折もちょっと派手だったし精神状態がとても悪かったので しばらく入院することになった。
入院してるあいだは すぐトイレで手首切ったり舌噛み切ろうとしてタオル噛まされたりと大変だった。
ある日父親が泣いてるのか怒ってるのかよくわからない顔で「死にたいなら言ってこい。俺のつくった子供だ、俺が殺してやる。」と言った。
それを聞いてから わたしは自傷するのをやめた。
閉鎖病棟に入る話も出ていたが、入院していた大学病院で改装工事の話があり、その頃には自傷もしなくなったので、結局 他所の心療内科の紹介状と薬を処方してもらい退院した。
19 :1:2013/02/18(月) 23:28:36.20 ID:l1uAy0UR0
退院してから通院し始めた心療内科の先生は面白かった。
この人が私のどん底人生を大きく変えてくれた。
先生のことはロッシーとしとく。ごめん野爆大好きなんだw
ロッシーは天然じゃないけど とにかくジョークが好きで、説き伏せるのがうまかった。
「まだ死にたいか?」と聞いてきて、「嫌なことを考えてしまう時は死にたくなります。」と言ったら、「このイケメンが見れなくなるぞ?もったいないぞー?w」とか言う人だった。
ある時、究極に外に出たくなくて診察をバックれたことがあった。
約束の時間をすぎても病院側から連絡がくることはなくて、後日予約し直してコソコソ行ったら、「薬が切れたかw」と笑って迎えてくれた。
でも怒る時はしっかり怒る人で、何よりどんな話でも きちんと聞いてくれることが嬉しかった。
学校に行かなくなってから男性恐怖症と対人恐怖症になってしまったけど、ロッシーとは話が出来た。
20 :1:2013/02/18(月) 23:29:36.42 ID:l1uAy0UR0
そんなロッシーとその年の年末頃に学校の話をした。
ふわっと雑談をしている時に「そういえば、学校どうする?」と聞かれた。
「せっかく入学したから卒業したいです。でも もう居場所がないので…」と うやうやしていたら、復学を提案してくれた。
復学とは、留年と同じ感じで休学しはじめた学年に留まってやり直すこと。
学校も行ってないからストレートで卒業なんてできないのは わかっていたけど、環境がかわってうまくできる保障もないので、どうしようか悩んでいた。
そうしたら、
「もうあなたは一度死んだんだと思えばいい。新しいんだ。2回目の人生だぞー!いいなーw」って冗談ぽく言ってくれた。
その言い方がなんだか面白くて、まあ自分でもおまけの人生くらいに思ってたから頑張ろうって思えた。
21 :1:2013/02/18(月負) 23:30:27.10 ID:l1uAy0UR0
もう粋一編度公やり直省し摩た学騰校生抵活は、良い長もの答だった。
女子が居zな恋いの先に仕は霧変わ較りが想な奇か皆っめたが拷、携スペ如キャン促も居な迷い。総
ス貞ペ考キャン架は害 ちょ登い薪ちxょ検い攻殖撃碁をし限て戦き母たかが墨、汁着信拒炎否勉をし霊て五 こ級ちら業から説は無覧視をし続け濁た秒。
ク妹ラ遠スに翻馴染めたわ罰け不では扱なIかったが誘、暴悼力を振る重ったり艦暴歳言参を鬼吐含くz人駅がa近くにいな向いので律 や及って玄い院けた禁し斜、*全峰て矛を知懲っ享て会いる権ロッシ教ーも墜い錯るか繭ら、
辛浄い剰ことが程あっ菜て欄も逃雄げ蒸場が慈あ補る泌と謡い舟う歓安心感営があ蓄っzた。井
でも結局ツ 卒滋業す約る巣ま家で貝クラ投ス宗の中に友較達と賜呼べるような関貞係駅の比人は輸で離き央なかった備し誘、最革低限のコミ廃ュ酵力排は戻って体きたつけど快男蓄性j恐興怖症醜は徳治らな打かった承。幣
22 :1:2013/02/18(月) 23:31:17.30 ID:l1uAy0UR0
それでも留年することなく卒業した。
男性社会で生きていくことは無理だと感じた私は、在学中は「卒業するための勉強」をし、当たり障りのない卒業をした。
進路については、ここでもロッシーに助けられた。
4年生の就活時期に、恐怖症が なかなか治らないことを相談した。
就職以前に面接も受けれるか不安だし、もう社会的には生活できないのかという話をした。
ロッシーは静かに話を聞いて、こう言った。
「恐怖症だって言うけど、ちゃんと先生や同級生とコミュニケーションがとれてるじゃん。大丈夫だよ。」
私には恐怖症だと決め付けてしまってるところがあるとも言っていた。
>>次のページへ続く
1 :名も無き被検体774号+:2013/02/18(月) 23:13:57.46 ID:l1uAy0UR0
需要ないと思うけど自分の中で区切りがついたから話させて欲しい。
ストックあるから淡々と書くよ
5 :1:2013/02/18(月) 23:16:32.70 ID:l1uAy0UR0
とりあえず今のスペック
26歳♀
職業について はあとで出てくるので。
6 :1:2013/02/18(月) 23:17:37.33 ID:l1uAy0UR0
機械専攻で高専に入学した。
私のクラスは女子ひとり。
工業系は女子が少ないというのは覚悟してたけど、いざ一人となると心細さマックスだった。
同じクラスに、中学の時に仲が良かった男子がいた。
身バレ怖いから そいつのことは「スペースキャンサー大明神」を略してスペキャンと呼ぶ。わかる人にはわかる。
中学校が一緒なのはスペキャンだけだったから、最初の2ヶ月くらいはスペキャンと話をして生活していた。
スペキャンは調子のいいコミュ症で、ほかの男子とつるもうとせず いつも一人だった。
私もなかなかの人見知り体質だったので、スペキャンの友達を紹介してもらってクラスに馴染んでいこうと思っていたけど、スペキャンは友達をつくろうとする気配もなく、ずっと一人だった。
9 :1:2013/02/18(月) 23:20:45.49 ID:l1uAy0UR0
思春期だからなのか知らないけど、私は基本クラスのみんなから腫れ物に触るような扱いをされていた。
スペキャン以外は話しかけてくる人もいなかったけど、こっちから話しかければ応答はしてくれるので、その時は別にどうでもよかった。
でも ある日を境に、スペキャンの様子がおかしくなってきた。
暑くなって衣替えしたくらいだったと思う。
スペキャンは悪口のようなものを言うようになった。
周囲に悪い噂を流すわけではなく、直接私に言ってきた。
それは容姿のことだったり学力のことだったりで、とにかくネチネチと嫌なことを言うので私は無視するようにした。
10 :1:2013/02/18(月) 23:21:23.22 ID:l1uAy0UR0
無視するようになって気付いたけど、スペキャンはハブられていた。
それどころか悪口とかいじめみたいなものも受けてるようだった。
八つ当たりかよーと思ったけど、かわいそうとかは思わなかった。
勉強はできるけど元々性格に難アリだったし。
スペキャンしか友達らしい友達がいなかった私も当然クラスで孤立していた。
でも他クラスの女友達とかはいたので、なんとかやっていた。
私はあんまり頭が良くなかったけど、他クラスの友達のサポートに助けられ それなりに楽しかった。
スペキャンはそれが気に入らなかったらしい。
11 :1:2013/02/18(月) 23:22:05.21 ID:l1uAy0UR0
ある日私のメガネケースがなくなった。
ゴミ箱の裏から出てきたんだけど、ケースの内側に貼っていたプリクラがなくなっている。
ふとゴミ箱を見るとビリビリになったものが捨てられていた。
中学時代の友達や過去に転校した親友とかとの大事な思い出だったからショックだった。
あとでわかったけど やっぱり犯人はスペキャン。
「プリクラ撮るとか意味がわからない」
「幼稚すぎるバカみたい」というようなことを言っていたけど全部無視した。
そういうことをする神経が信じられなかったし許せなかった。
他クラスにも友達のいないスペキャンを哀れみはじめてたけど、もうほっとこうと思った。
12 :飼1:栄2013/02/18(月) 23:22:39.25 ID:l1uAy0UR0
夏休憎み明け匁頃、皿ス奨ペ複キ妨ャ赦ン戦に仲間暇が措二人く窒ら提いでき電た。将一刊緒墳になって私を式虐刊げる姫仲間需が引。
ボ児ールペ載ン沢や渡製図用副の徹コン姉パス神等薦が雅バラ系バゆラ寿に跡壊語され媒隠さ企れた。
教逓科書据は接着キ剤奨で血くっつけられて使い実物に接なら撮な彫くな仙っ悔た。標
罵今倒の吸言葉も救、悪口か酵ら人格否定偉、送存在否洋定へ逮と虚エス己カレート芋し、暇暴貸力も始契まった広。碑
何度も転ば朴さ翌れ郭たり淡突院き飛ばされた五り花、ひ妊どい者時肢には鋼陽ハaンなど維の橋工具や金孔属複材法料で凡殴治られた。(粛さす銑がに神全晶力庁で砕はない妄けど)
転届ばされるのも移動教綿室のろ時詔とxか塾人前で転適ば世さ$れてたんだけ玉ど気、周虞り病は麗助けてくれる抹ど御ころ殉か笑っ験て見てた。草
こ均の時初めて倒私も署ハrブられていた君ん化だと知った。
同る時に「味況方はいな競いん召だな王」麗と思汽った。堅
14 :1:2013/02/18(月) 23:23:22.19 ID:l1uAy0UR0
「お前が幸せそうにしているとムカつく」とよく言われた。
スペキャンは、私が他の人から疎まれていると知ると とても嬉しそうにし、私にいい事があると「生意気だ」と殴っていた。
昔から自分のことが あまり好きではなかったこともあり、スペキャンから罵倒されるたびに、「私は幸せになってはいけないんだ」と思うようになっていた。
この時は私も だいぶおかしくなってたと思う。
スペキャンは直球に「死ね」とは言わなかった。
でも「なんで生きてるの?」「お前生きてる価値ないよね」というようなことは言っていた。
だんだん「生きてるだけで迷惑なのにこれ以上変なことできない」と考えるようになり、友達にも相談ができなくなっていた。
それどころか嫌われたくない一心で友達と距離を置くようにまでなった。
私は次第にぼっちになった。
13 :名も無き被検体774号+:2013/02/18(月) 23:22:53.07 ID:+74W0outO
女で高専の機械専攻か
なかなか貴重な存在だな
15 :尺1:2013/02/18(月札) 23:24:22.91 ID:l1uAy0UR0
>>13
あり墾が悪とう。や起っ拾ぱ青り恥珍挙し擁いのか款。
ある時菓 担診任(男)息に恒呼ばれた据。泥
クラ揮スメ眺イ嬢ト競と宣やpっ用て落いけ海てるか?という泉確認昼みたいgな学も賢のとだった福。附
適当に秋返折事をしな柄が涯ら、(短今のさ繊れてい長る仕皇打ち漏を奮す促べ縄て話そ頑う寝…剖!世)貞と戸思った描けど範、越
「窯ま憎あ諭ハ卸ー磁レ週ムみた譲いミなもん八だ渇よな置あ。より懸ど紹りみどり昇だろ君w」と言われ穂、美
あ、こいつ菌は顔ダ画メだ帆。呉と思い靴、言う継のはやめ奉た塗。貞
クラス万か郊ら羊は徹底評的に徹無視、簿ス箇ペキ碁ャ俸ン亡達か登ら吸は暴博力と宿暴言郊が続震い習た。
「旋本当お妊前邪魔だ班よ」
「バカで症豚で声ブサイク暴wwよ炊く生複きそて妙られるな泣ww」耐
私はもう限孝界だっ考た。値
16 :1:2013/02/18(月) 23:25:37.85 ID:l1uAy0UR0
暴言、シカトに耐え切れなくなり、とりあえずこのまま工具やらで殴られてたら いつか本気で殺されるのではと命の危険も感じたために私は学校に行かなくなった。
親の手前、最初は学校に行くフリをしていたけど、休ませて欲しい、と理由を話した。
母親はスペキャンの両親とも知り合いで、私がスペキャンと仲良しだったことも知ってたから、理由は「やっぱり女子ひとりはツラい。クラスに馴染めなくて正直しんどい」ということにした。
母親は泣いていた。気付いてあげられなくてごめん、と。
父親は学校の手続きを心配してたけど ゆっくり休めと言ってくれた。
今思えば母親は くっつけられた教科書を発見してたと思う。
でも二人共詮索とかはしてこなかった。ありがたかった。
学校を休んでいる間、スペキャンからメールが来ていた。
「サボり魔」とかそんな内容だった。他クラスの子からも心配のメールが来ていたけど、ほとんど疎遠になりつつあったので次第に来なくなった。
でもスペキャンからは来続けていた。
「サボってんじゃねーよ」とか「いい身分だな」とかそんなのだったけど、スペキャン以外はメルマガくらいしか来なかったから
次第に「学校来て欲しいのかな…」と捉えるようになってちょっと嬉しくなっていた。
わたしはおかしかった。
17 :1:2013/02/18(月) 23:26:23.45 ID:l1uAy0UR0
ある日スペキャンが家に来た
学校に置き忘れたものを持ってきたらしかった。
麻痺していた私は嬉しくて昔のように話をしようとした。
でもスペキャンは相変わらずだった。
私が学校から消えてから仲間も掌を返したらしい。溜まってたのかスペキャンの口からはノンストップ暴言。
すっきりしたらしく毒を吐くだけ吐いて帰っていった。
バカな私は究極に絶望した。
18 :1:2013/02/18(月) 23:27:25.02 ID:l1uAy0UR0
その次の日にわたしは自殺未遂騒ぎを起こした。
住んでいたマンションから飛び降りたんだけど、ビビリなうえにたいした覚悟もなかったから、3階から花壇に飛び降りて骨折程度で終わった。
気絶してたからか集中治療室みたいなとこで目が覚めて、警察が話を聞きに来た。
靴を揃えてたから自殺と疑ったらしい。まあビンゴなんだけど、
その時は「ちょっと物を取ろうとして―」とかよくわからないことを言った。
遺書もないし事故ということで片付けられたけど、骨折もちょっと派手だったし精神状態がとても悪かったので しばらく入院することになった。
入院してるあいだは すぐトイレで手首切ったり舌噛み切ろうとしてタオル噛まされたりと大変だった。
ある日父親が泣いてるのか怒ってるのかよくわからない顔で「死にたいなら言ってこい。俺のつくった子供だ、俺が殺してやる。」と言った。
それを聞いてから わたしは自傷するのをやめた。
閉鎖病棟に入る話も出ていたが、入院していた大学病院で改装工事の話があり、その頃には自傷もしなくなったので、結局 他所の心療内科の紹介状と薬を処方してもらい退院した。
19 :1:2013/02/18(月) 23:28:36.20 ID:l1uAy0UR0
退院してから通院し始めた心療内科の先生は面白かった。
この人が私のどん底人生を大きく変えてくれた。
先生のことはロッシーとしとく。ごめん野爆大好きなんだw
ロッシーは天然じゃないけど とにかくジョークが好きで、説き伏せるのがうまかった。
「まだ死にたいか?」と聞いてきて、「嫌なことを考えてしまう時は死にたくなります。」と言ったら、「このイケメンが見れなくなるぞ?もったいないぞー?w」とか言う人だった。
ある時、究極に外に出たくなくて診察をバックれたことがあった。
約束の時間をすぎても病院側から連絡がくることはなくて、後日予約し直してコソコソ行ったら、「薬が切れたかw」と笑って迎えてくれた。
でも怒る時はしっかり怒る人で、何よりどんな話でも きちんと聞いてくれることが嬉しかった。
学校に行かなくなってから男性恐怖症と対人恐怖症になってしまったけど、ロッシーとは話が出来た。
20 :1:2013/02/18(月) 23:29:36.42 ID:l1uAy0UR0
そんなロッシーとその年の年末頃に学校の話をした。
ふわっと雑談をしている時に「そういえば、学校どうする?」と聞かれた。
「せっかく入学したから卒業したいです。でも もう居場所がないので…」と うやうやしていたら、復学を提案してくれた。
復学とは、留年と同じ感じで休学しはじめた学年に留まってやり直すこと。
学校も行ってないからストレートで卒業なんてできないのは わかっていたけど、環境がかわってうまくできる保障もないので、どうしようか悩んでいた。
そうしたら、
「もうあなたは一度死んだんだと思えばいい。新しいんだ。2回目の人生だぞー!いいなーw」って冗談ぽく言ってくれた。
その言い方がなんだか面白くて、まあ自分でもおまけの人生くらいに思ってたから頑張ろうって思えた。
21 :1:2013/02/18(月負) 23:30:27.10 ID:l1uAy0UR0
もう粋一編度公やり直省し摩た学騰校生抵活は、良い長もの答だった。
女子が居zな恋いの先に仕は霧変わ較りが想な奇か皆っめたが拷、携スペ如キャン促も居な迷い。総
ス貞ペ考キャン架は害 ちょ登い薪ちxょ検い攻殖撃碁をし限て戦き母たかが墨、汁着信拒炎否勉をし霊て五 こ級ちら業から説は無覧視をし続け濁た秒。
ク妹ラ遠スに翻馴染めたわ罰け不では扱なIかったが誘、暴悼力を振る重ったり艦暴歳言参を鬼吐含くz人駅がa近くにいな向いので律 や及って玄い院けた禁し斜、*全峰て矛を知懲っ享て会いる権ロッシ教ーも墜い錯るか繭ら、
辛浄い剰ことが程あっ菜て欄も逃雄げ蒸場が慈あ補る泌と謡い舟う歓安心感営があ蓄っzた。井
でも結局ツ 卒滋業す約る巣ま家で貝クラ投ス宗の中に友較達と賜呼べるような関貞係駅の比人は輸で離き央なかった備し誘、最革低限のコミ廃ュ酵力排は戻って体きたつけど快男蓄性j恐興怖症醜は徳治らな打かった承。幣
22 :1:2013/02/18(月) 23:31:17.30 ID:l1uAy0UR0
それでも留年することなく卒業した。
男性社会で生きていくことは無理だと感じた私は、在学中は「卒業するための勉強」をし、当たり障りのない卒業をした。
進路については、ここでもロッシーに助けられた。
4年生の就活時期に、恐怖症が なかなか治らないことを相談した。
就職以前に面接も受けれるか不安だし、もう社会的には生活できないのかという話をした。
ロッシーは静かに話を聞いて、こう言った。
「恐怖症だって言うけど、ちゃんと先生や同級生とコミュニケーションがとれてるじゃん。大丈夫だよ。」
私には恐怖症だと決め付けてしまってるところがあるとも言っていた。
>>次のページへ続く
\ シェアする /
関連記事
-
旅に出たら人生が変わった
-
嫁が妊娠したらしい、が、義父同席の元、産婦人科医から真実が明かされる
-
友達の親父に喧嘩売った話
-
喪女だけど気付いたら妊娠、結婚、出産してた
-
ニート脱出してアメリカの永住権取った話
-
勘違いで結婚が決まった
-
態度が豹変した妻に起きていた事
-
間男と嫁が、約5年近く浮気してた
-
近所のDQN家族との闘争の日々を送った話
-
知りたくなかった嫁の過去知ってしまったんだが、、、
-
姉と結婚した
-
汚嫁と間男の発言に空いた口が塞がらない、そんな離婚劇だった。
-
昔に自分をいじめていた相手から突然告白された。
-
用務員なんだけど女教師泣かせてクビになりそう
-
経験の無さが人生ここまで怖くなるとは・・・
-
一人暮らしのはずの彼女の家に違う奴が帰ってきた
-
キャバクラにはまって失ったものがデカかったが、後から信じられない真相を知ることになった
-
パチンコ辞めて自炊を始めたら人生観が変わった
-
悲惨過ぎる貧乏生活の体験談
-
14歳の娘との生物学的な親子関係が否定された
-
婚約者が浮気相手の子を身籠った
-
過去2回の浮気を許していた嫁からとうとう離婚を切り出された
-
旦那が亡くなって1年経った
-
昔付き合ってたメンヘラビッチのせいで婚約がやばい
-
周りがビッチすぎてビビった話をする
-
昨夜、同居中の義母とセ○クスしてしまった…
-
妻からの間違いメール
-
幼馴染の男の子の話
-
妻が不倫してたわ
-
最愛の嫁の話
-